HOME > その他ニュース > ポルシェがモータースポーツの伝説ハンス・ヘルマンを祝福
 



 時代との対峙 - BMW740i
   2009/05/17
 ギャランフォルティス一挙試乗
   2009/04/12
 クラスレスなセカンドカーを買った
   2008/10/13
































ポルシェがモータースポーツの伝説ハンス・ヘルマンを祝福
2008/02/25

ポルシェAG(本社:ドイツ、シュトゥットガルト 社長:Dr.ヴェンデリン・ヴィーデキング)は、2008年2月23日に数多くの成功を収め、最も人気のあるポルシェのワークスドライバー、ハンス・ヘルマン氏の80歳の誕生日を祝いました。耐久レースなどのスポーツカー スペシャリストとして名をはせたヘルマン氏は、1928年にシュトゥットガルトで生まれ、歴史上最も確実で安定感のあるドライバーの一人として評価されています。同氏のモータースポーツのキャリアにおいて、総合およびクラス優勝は80勝を数え、そのほとんどをポルシェとともに収めています。


Hans Herrmann (1970), Nurburgring

ポルシェAGおよびポルシェ オートモービルホールディングのDr. ヴォルフガング・ポルシェ会長は、ハンス・ヘルマン氏を「彼のドライバーとしての才能は、伝説になっています。フォーミュラ1でも、ヒルクライムでも耐久レースでも、彼の力強いドライビングパフォーマンスは常に感動を呼びました。ほぼ20年もの間、彼は常にトップドライバーとして君臨し続けたのです」と称えました。

ヘルマン氏は、他のワークスチームに在籍したこともありましたが、彼の心は常にポルシェと共にありました。「Hans im Gluck ハンス イム グリュック」(ラッキーなハンス)は、ツッフェンハウゼンで製造されたスポーツカーのドライバーズシートでその輝かしい栄光を築き上げてきたと言えます。ミッレミリアやタルガフローリオ、カレラパンアメリカーナ、そして1970年にル・マンで917を駆り、ポルシェを初の総合優勝に導いたことも忘れてはなりません。


Hans Herrmann (1970), Le Mans

彼はそのキャリアをスタートさせた当時から素晴らしい成績をおさめてきました。1952年にはプライベーターとしてポルシェ356で、ヒルクライム、ラリー、および耐久レースに参戦しました。翌年にはすでにリヒャルト・フォン・フランケンベルグとチームを組み、ポルシェ356でリヨン-シャルボニエールラリーに参戦、5位に入賞しています。

この結果、ポルシェのレーシングマネージャだったフュシュケ・フォン・ハンシュタインが彼をポルシェ ワークスチームに抜擢しました。1953年、ヘルマン氏はル・マン24時間耐久レースにコドライバーのヘルム・グレックラーとポルシェ550クーペで参戦、初戦にして1.5リッター以下のカテゴリーでクラス優勝という快挙を遂げました。

同年、ドイツスポーツカーチャンピオンの座を獲得した後、メルセデス・ベンツのレーシングチームの監督アルフレッド・ノイバウアーに認められ、26歳のヘルマン氏は、ファン・マヌエル・ファンジオ、スターリング・モス、カール・クリンクを擁するワークスチームに参加しました。これと平行して、1954年にはヘルマン氏はポルシェからも550スパイダーで参戦し、ミッレミリアおよびカレラパンアメリカーナでクラス優勝を獲得しています。


Hans Herrmann (1954), Mille Miglia, 550 RS Spyder

忘れられないのは、1954年のミッレミリアでコドライバーのヘルベルト・リンゲと一緒に踏み切りのポールを潜って、高速で接近する列車の前を横切ったという一幕です。その後、ヘルマン氏がそのシーンの写真に「Gluck muss man haben」(運が大事さ)とサインした絵葉書が作られました。後日、彼はその裏にある本当の意味を「Gluck hat, wer als Rennfahrer uberlebt.」(レーシングドライバーにとっては、運が生死を分ける)と語っています。

1955年、ダイムラー・ベンツのワークスがモータースポーツから撤退したのを受けて、ハンス・ヘルマン氏はポルシェに戻ります。その後、マセラティ、ボルクヴァルトを転々とした後、1959年にヘルマン氏は、再度「古巣」であるポルシェに復帰します。ヘルマン氏はオリビエ・ジャンドビアとポルシェ718 RS 60スパイダーで1960年のセブリング12時間レースに優勝し、ポルシェにマニュファクチュアラーズ世界選手権における初の総合優勝をもたらしました。その後間もなく、シチリアで開催された「タルガフローリオ」でも、ハンス・ヘルマン/ヨアキム・ボニエ組、そしてポルシェRS 60スパイダーというコンビで優勝しています。1960年には、ヘルマン氏はポルシェ718/2でフォーミュラ2のヨーロッパチャンピオンに輝いています。

1962年には、カルロ・アバルトに移籍、1963年にはウイーンのデザイン工学のワークスドライバーとして積極的に活動しています。それから3年後の1966年には、改めてポルシェのワークスドライバーとして復帰を果たします。ヘルマン氏は、ヨーロピアン・ヒル・クライム・チャンピオンシップを始め、すべての著名な耐久レースに参戦しただけでなく、当時新設されたばかりのヴァイザッハ開発センターで数え切れないほどのテストドライブを行いました。

1969年、ハンス・ヘルマン、ジョー・シファート、ビック・エルフォード、ロルフ・ストメレン、ウド・シュッツおよびジェラード・ミッターを擁するポルシェワークスチームは、初となるマニュファクチュアラーズ世界選手権のタイトルを獲得しました。その年のル・マン24時間では、ジャッキー・イクスのフォードGT 40にわずか120メートルの差で優勝をさらわれていますが、あの激闘は今日でも忘れることのない名勝負と言えるでしょう。このレースはヘルマン自身にとっても最もエキサイティングなレースの1つとなっています。その1年後、ヘルマン氏は11度目のル・マン参戦で見事に雪辱を晴らしただけでなく、ポルシェに総合優勝をもたらしたのです。

このとき42歳だった彼は、このモータースポーツのキャリアの絶頂を機にレース活動から身を引くことを決めました。彼は、マデレイン夫人にこのレースで優勝したらこの危険な職業から引退することを約束していたのです。また、この決断はレース前に「ゆっくり運転してね、パパ」と書いた手紙を手渡した息子の望みを叶えるためでもありました。

その後、彼は「ヘルマン・オートテクニック」というシンプルな名前を掲げたアクセサリー・スペアパーツ専門会社を興し現在に至っています。


ハンス・ヘルマン氏のポルシェでの主な戦歴は、以下の通りです。

イベント/車両/結果

1952 ADACドイツラリー選手権/ 356/ 優勝(クラス)
1953 ル・マン24時間/ 550クーペ/ 優勝(クラス)
1953 ドイツグランプリ/ 550 スパイダー/ 優勝(クラス)
1954 ミッレミリア/ 550スパイダー/ 優勝(クラス)
1954 カレラパンアメリカーナ/ 550スパイダー/ 優勝(クラス)
1956 セブリング12時間/ 550スパイダー/ 優勝(クラス)
1956 ドイツグランプリ/ 550 Aスパイダー/優勝(クラス)
1960 セブリング12時間/718 RS 60/ 優勝(総合)
1960 タルガフローリオ/ 718 RS 60/ 優勝(総合)
1966 ツェルトヴェグ・グランプリ/ 906カレラ6 / 優勝(総合)
1967 スパ1000 km/ 910/ 第2位(総合)
1967 マラソン デ・ラ・ルート/911 R/ 優勝(総合)
1968 デイトナ24時間/ 907/ 優勝(総合)
1968 ニュルブルクリンク1000 km/ 907/ 第2位(総合)
1968 セブリング12時間/ 907/ 優勝(総合)
1968 パリ1000 km/ 908/ 優勝(総合)
1969 ニュルブルクリンク1000 km/ 908/ 第2位(総合)
1969 ル・マン24時間/ 908/ 第2位(総合)
1969 モンツァ1000 km/ 908/ 第2位(総合)
1970 ニュルブルクリンク1000 km/ 908/ 第2位(総合)
1970 ル・マン24時間/ 917/ 優勝(総合)

以上、プレスリリースより


前のニュース <<

>> 次のニュース



キーワード関連ニュース
 '08/02/27 「ポルシェ スポーツドライビング スクール ジャパン」を開催
 '08/02/26 ポルシェ、ポール・フレール氏に哀悼の意を表する
 '08/02/19 ドイツの教授や博士の卵223名にフェリー・ポルシェ賞
 '08/02/04 20万台目のカイエンがラインオフ - ポルシェ
 '08/01/29 困難な経済情勢のなかで成長を続けるポルシェ
 '08/01/28 ポルシェが企業イメージ調査にて8年連続首位

 


Yahoo! JAPAN
Web検索
サイト検索




Copyright © 2005-2009 元◇318MT将軍 blog E-mail:webmaster@kntauto.com(全角の「@」はスパム対策)
Spuned by Web Spreader Rev. 2.00.00 - Developed by Hyper-barn Corp. - 最終更新日: 2009/08/09